大判例

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福岡高等裁判所 平成元年(行ウ)5号 判決

佐賀市西与賀町字今津乙一四九番地の二

控訴人

大庭輝治

右訴訟代理人弁護士

本多俊之

河西龍太郎

中村健一

佐賀市堀川町一番五号

被控訴人

佐賀税務署長 永松睦朗

右指定代理人

糸山隆

坂井正生

木原純夫

白濱孝英

樋口貞文

荒津恵次

右当事者間の所得税更正等取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人の昭和五四年分及び昭和五六年分の所得税について昭和五八年二月一六日付けで各更正及び各過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

二  主張の関係は、次のとおり改めるほか、原判決事実摘示のとおりであり、証拠の関係は、原審並びに当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

1  三枚目表六、七行目全文を「各更正に所得を過大に認定した違法はなく、また、本件各賦課決定は、本件各更正に基づき新たに納付すべきこととなった税額に国税通則法六五条により各賦課決定をしたもので、違法はない。」に改める。

2  同枚目裏二行目の「あるから」を「あったから」に改める。

理由

一  当裁判所も、原審同様、控訴人の本訴請求は理由がなく、棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり加除し、改めるほか、原判決理由説示と同じであるから、これを引用する。

1  八枚目表五行目の「判断するに、」の下に次を加える。

「当事者間に争いがない事実と、成立の真正に争いのない甲第三号証の二、第一一九号証、昭和五九年大庭武雄を撮影した写真に争いのない甲第一一八号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認める甲第七号証、原審証人重松一俊、同大庭武雄、原審・当審(第一回)証人大庭登美代の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 佐賀税務署係官の重松一俊は、昭和五七年八月ごろ、納税義務者である控訴人(大正二年八月一七日生)の申告では、昭和五三、五四年分の各所得に比して、昭和五六年分の各所得が落ち込んでいたことから、所得調査のため、帳簿を見て伝票類との照合をすることにした。

2  重松は、昭和五七年八月中旬ごろ、控訴人宅を訪れたところ、当時、高齢で体が弱っていた控訴人に代わって、水産練製品の製造業を取り仕切り、社長と呼ばれていた長男の大庭武雄(昭和一六年五月二三日生)が、外出から帰ってきたので、同人に身分証明書を示して、所得税の調査に来た旨の意向を告げた。同人からあいにく事務員がいないので別の日にしてもらいたいと希望され、重松は、外で立話をした程度で、帳簿の所在、内容等についての話は一切しないまま、八月二〇日ごろまでに都合のよい日を教えて欲しい旨を告げて退去した。

3  その後、重松に対し、同月一八日付け控訴人作成名義の封書で、同月中は多忙のため九月に入って改めて控訴人から連絡をする旨の通知がきた(甲第一一九号証)が、九月上旬にいたるも控訴人から連絡がないので、重松は、同月中旬ごろ控訴人宅に赴いたところ、武雄から、予め連絡をしてもらうと事務員を待機させておいて説明させると言われ、当日も、帳簿の所在、内容等についての話は一切しないまま、二、三日後に伺うことを言って退去した。

4  重松は、控訴人が後日指定してきた同月二七日、控訴人宅を訪れたところ、武雄、民主商工会の寺尾事務局長ほか数名の者が待機しており、控訴人の帳簿類作成の事務担当者の大庭登美代も帳簿を用意していた。重松も、帳簿がおいてあるのは現認していたが、同帳簿を見る前に、守秘義務の関係で税理士や弁護士ならいいが、そうでない多くの人が立ち会っていたのでは困ることを告げて、退去を要求した。寺尾らは、控訴人が守秘義務を放棄しているからいいではないか等と主張して、退去に応じなかったことから、重松は、当日の調査を打ち切り、退去することにした。寺尾は、一〇月になったら、改めて日を指定するから、その時に来て欲しいと言っていた。当日、寺尾らは、テープレコーダーに重松とのやりとりを録音していた。

5  重松は、一〇月中旬になっても控訴人から連絡が入らないので、電話で問い合わせ、早く調査したい意向を示したところ、武雄から一一月中旬でないと都合がつかないとの返事をもらった。重松は、一〇月下旬ごろ、所用で控訴人宅の近くを通った際、控訴人宅に立ち寄り、武雄にもう少し早い時期を指定するよう催促したが、同人は一一月中旬でないと都合がつかないことを繰り返した。そこで、重松は、前回のように無関係な人が大勢いたのでは調査できないし、取引先を調査せざるを得ないので、今度は調査に協力方を願う旨を言って退去した。

6  重松は、一一月中旬、控訴人宅を訪れたが、武雄、民主商工会関係者の一名の他、男性が二、三名いたので、無関係な人の立ち会いを拒否する重松と、立ち会いを主張する民主商工会関係者とで二時間くらいにわたって議論になり、重松は、調査をあきらめ、取引先の調査をしなければならない旨を告げて退去した。

7  以上、重松が控訴人宅であった人物はすべて武雄であり、控訴人ではなかったが、重松は、武雄を控訴人と誤認していた。

8  そこで、被控訴人は、控訴人の事業所得の金額を推計し、それに基づき翌昭和五八年二月一六日付けで本件各更正及び本件各賦課決定をしたところ、控訴人が四月一四日異議申し立て、それに対する同年七月七日付け棄却決定に対して、八月五日さらに審査請求をした。その審理過程で、被控訴人は控訴人に対し、帳簿の提出方を要求したが、控訴人は、昭和五四年分については一切提出せず、昭和五六年分については、収支計算書を提出したのみで、それを裏付ける書類一切の提出をしなかった。

右事実によれば、重松が、武雄を納税義務者本人の控訴人と誤認していた点は、武雄が控訴人の長男で、営業を実質上取り仕切って社長と呼ばれていたこと、重松の調査に際しても、始終、実質上の主宰者として振る舞っていたことに照らすと、控訴人は武雄を代理人として重松に応対させていたと推認できるから、本訴請求において、控訴人が重松の右誤認をもって違法である旨を主張できる筋合いではない。そして、昭和五八年九月二七日、控訴人側は、重松の来訪を受けた際、事務員の大庭登美代を待機させ、帳簿を準備していたというのであるから、入口論で議論を繰り返すのではなく、準備している旨を言って重松が調査に着手できるよう便宜は図るべきであったと思われるのに、テープレコーダーに同人とのやりとりを録音したのであるから、同人が調査を妨害されたと判断したのもやむを得なかったというべきである。もっとも、同人も、帳簿がおいてあるのは現認していたのであるから、とりあえず調査に取り掛かってみて、立会人らが実際に調査を妨害するのかどうか、備付帳簿に不備があるかどうかを確認するのが妥当ではなかったかとも思われ、この点で同人の対応もやや不適切ではなかったかとの感を否定できないが、このことをもって、右判断が違法であったとまでは解されない。しかも」

2 同六行目の「売上」を「売上額」に、八行目から九行目にかけての「実額を算出することを可能とする資料が存在した事情は窺えない」を「売上額を認めるに足りる証拠はない」に改める。

3 同枚目三行目から四行目にかけての「乙第五号証の一ないし五」を「乙第五号証の一、二、四及び五、回答欄については弁論の全趣旨により成立が認められ、その余の部分は成立に争いがない」に、四行目から五行目かけての「第八号証の一ないし三」を「第八号証の一及び三」に、五行目の「第一〇号証の一ないし三」を「第一〇号証の一及び三」に、六行目の「第一一号証の一ないし三」を「一一号証の一及び三」に改め、「第一二号証、」を削り、六行目から七行目にかけての「第一三号証の一ないし六及び」を「第一三号証の一、二、五及び六並びに」に、九行目の「認められ、」から一〇行目末尾までを「一応認められる。もっとも、控訴人は、甲第四号証の二を基に、被控訴人の認定した仕入額は実額と大きく異なる旨主張する。原審及び当審(第一回)証人大庭登美代の証言によれば、同文書は、控訴人の帳簿の記帳事務に従事していた大庭登美代が作成したものであるところ、全仕入額が売掛帳に基づいているわけではないことが認められることに照らすと、結局同文書の正確性を担保するに足りるものはないというべきであり、また同文書に記載された収入額が控訴人の収入額の全額であることを裏付けるに足りる証拠がなく、かつ、後記するとおり、控訴人主張の実額反証により、原判決別表5の認定を排除するのを相当とする事実が認められるわけではないので、推計課税の基礎数字として、同表を採用しても違法ではないというべきである。」に改める。

4 九枚目表一一行目の「乙第一ないし」を「乙第一、二号証、」に改める。

5 一〇枚目表初行の「所得率を」の下に「百分率で」を加え、一〇行目の「一般的には、」を削る。

6 同枚目裏四行目の「反証」を「いわゆる実額反証」に、九行目の「乙第二ないし第四号証」を「乙第二号証、第四号証」に改める。

7 一一枚目表三行目から四行目にかけての「後述のとおり反証がない以上、」を削り、五行目末尾に「控訴人は、当審において、前記類似同業者と控訴人との本件各係争各年分の売買差益率、必要経費率に大きな開きがあるのみならず、類似同業者の昭和五五年分の売買差益率は二九パーセントであり、昭和五四年、五五年分の三八パーセントと大きく食い違っていること、借入利子金額も昭和五四年分が一二万九五八八円、昭和五六年分が二四万〇三一六円なのに対し、控訴人のそれはそれぞれ二〇七万〇二〇円、一五一万二六四〇円と額が大きく異なり、その特別経費に占める割合も前記類似同業者の昭和五四年分が二パーセント、昭和五六年分が三・八パーセントであるのに対し、控訴人のそれはそれぞれ一五・七パーセント、九・四パーセントと大きく異なり、前記類似同業者と控訴人とは経営資金上の基礎を大きく異にすることから、類似同業者の選択は不合理であると主張するが、右の事実をもって右結論を左右するものとは解されない。」を、六行目の「検討するに、」の下に「控訴人の主張は、控訴人主張の売上金額が実額であることを前提とするものであるが、後記のとおり、同前提を認めるに足りる証拠がない以上、同主張は失当といわざるをえないが、仮に、このことを別にしても」を加える。

8 同枚目裏五行目末尾に「甲第一三六号証の一ないし三一、第一三七号証の一ないし三二、第一三八号証の一ないし三一、第一三九、第一四〇号証の各一ないし三二、第一四一号証の一ないし三一、第一四二号証の一ないし三二、第一四三号証の一ないし三一も、昭和五四年及び昭和五六年のそれぞれ六月から七月までの売値の下落分を示すものではあるが、これが年間を通してのそれであったことを認めるに足りる証拠はないから、いずれにしろ、右結論を左右するものとは解されない。」を加え、九行目全文を「するが、その立証のためには、総収入金額及びそれに対応する必要経費(一般経費及び特別経費)の実額を立証することが必要であると解するのが相当であるところ、控訴人は、それを証する文書として甲四号証の一ないし五(昭和五四年分の「収支計算書」)、第五号証の一ないし六(昭和五六年分の「収支計算書」)、第九号証の一ないし二三、第一〇号証の一ないし二四、第一一号証の一ないし二七、第一二号証の一ないし二五、第一三号証の一ないし二七、第一四号証の一ないし二六、第一五号証の一ないし二六、第一六号証の一ないし二五、第一七号証の一ないし二五、第一八号証の一ないし二七、第一九号証の一ないし二六、第二〇号証の一ないし二九、第六五号証の一ないし二四、第六六号証の一ないし二六、第六七号証の一ないし二八、第六八号証の一ないし二八、第六九号証の一ないし三〇、第七〇号証の一ないし三〇、第七一号証の一ないし三一、第七二号証の一ないし三二、第七三号証の一ないし三一、第七四号証の一ないし三三、第七五、七六号証の各一ないし三一(いずれも総括伝票)、第二一ないし四五号証(いずれも売掛台帳)、第四六ないし第五五号証、第七七ないし第一一六号証(いずれも仕入台帳)、第六〇号証(受取利息台帳)、第六一号証(修理・工事費)、第六二号証(雑収入)、第六三号証(支払利息)、第六四号証(雑損失)を提出する。しかし、原審・当審(第一回)証人大庭登美代の証言によれば、甲第四号証の一ないし五、第五号証の一ないし六は、いずれも右のその余の甲号証に基づき同証人が作成したものであって、いわば、控訴人の主張ともいうべきものであると認められるところ、その収入額の基礎となったものは、右総括伝票であるから、右総括伝票の信憑性を検討するために、まず、現金売上分を取り上げてみる。」に改め、一〇行目の「大庭登美代」の下に「(原審・当審第一回)」を加える。

9 十二枚目表八行目の「書類が」を「書類の一部を除き」に改め、一一行目の「更に」の下に「、成立の真正に争いのない乙第一五号証」を加える。

10 同枚目裏初行冒頭の「四」の下に「(いずれも橋口作成名義の仕切書)」を、八行目冒頭の「られる」の下に「のみならず、当審証人大庭登美代の証言(第一回)及び甲第七六号証の一一ないし二三によれば、昭和五六年一二月一一日から二五日までの日々の総括伝票の現金売上欄中には、いずれも「五〇〇〇円」という記載の後に「?」マークが付加されていることが認められるが、その理由もはっきりしない」を一〇行目の「とはいえず、」の下に「ことに、現金出納帳の記帳、備付けがないのは、年間売上額が一億円前後の業者であってみれば、不可解というほかなく、また、当審証人大庭登美代の証言(第一回)及び甲第八一号証によれば、三洋食品に対する売掛帳には、一月から九月までは日々の売掛分の記載があるのに、一〇月から一二月までは一か月分のそれがまとめて記載されていることに照らすと、果たして一〇月から一二月までの記載が正確かどうかの疑いを払拭しきれず、したがって、掛け売り分についても右総括伝票の信憑性は疑問であり、結局、以上の点を彼此斟酌すると、控訴人提出の文書(甲号各証)を信用して控訴人の収入額の実額を認定するのは困難であり、」を加える。

11 一三枚目表五行目の次に改行して「付言するに、控訴人は、一般経費については、甲第四号証の三、四、五号証の四、五を基に、その主張を展開しているが、前記したとおり、同文書は大庭登美代が作成した文書であって、その正確性を担保するに足りる証拠が揃っていないことは控訴人も認めている以上、全体としては控訴人の主張を記載したものの域をでず、同文書でもって右主張を認めることはできず、また、特別経費についても、たとえば、昭和五四年分の支払利息に関する帳簿と思われる甲第六三号証の記載事項について、その裏付資料と認めるに足りる証拠がないことに照らし、いずれにしろ、控訴人主張の実額反証は功を奏しないものというべきである。」を、七行目の「弁論の全趣旨」の下に「及び原審証人大庭登美代の証言」を加え、八行目から九行目にかけての「次男大庭治吉の妻登美代」を「長女大庭美智子」に改める。

二  よって、原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 川畑耕平 裁判官 簑田孝行)

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